パチスロ放浪記ロゴ
紳士的賭博観測記録
神出鬼没の変態紳士「やまさん」が贈る脳汁全開コラム。日夜「取材」と称しホール徘徊に勤しむ高純度のスロ中毒者。もしかすると、今夜あなたのホールに訪れるかもしれません。
「紳士的賭博観測記録」 vol.73(07.10.26 UP!)

【季節外れの恋物語】

自分らしく生きることは、とても大変なことだ。


本心を語れば誰かを傷つけたり、誰かと対立することもあるだろう。そして、そこには結果として自分自身が傷つき、後悔する可能性も秘めている。

それなのに、なぜ人は「自分らしく」生きようとするのだろうか。

例えば、本心を一切語ることなく、全てにおいて周囲と同調して生きるとしよう。言わば「イエスマン」というやつだ。

これは一見、自分らしさの欠片も持ち合わせていないように映る。しかし、このスタンスを継続していくことにより、それもいつの間にか「自分らしさ」になるのだ。

しかし、こういった主張の無いスタンスを「個性」と捉えられることは少ない。自分自身を押し殺す「自分らしさ」よりも、自分自身を表現し続ける「自分らしさ」のほうが個性的に映るのであろう。

しかし、冒頭でも述べたように、自分自身の主張において「自分らしく」生きることは大変な労力を伴う、リスキーな生き方なのだ。ここで、あるエピソードを紹介しよう。およそ15年以上も前の、季節外れのラブストーリーである。



―――私は、チョコレートが苦手である。

数えるほどしかない貴重な経験ではあるが、2月になると女子生徒からチョコレートを頂戴することがあった。勿論、大半は義理というやつだ。

この年の2月に、ある女子生徒に呼び出された。正直、私は困惑していた。

好意を抱かれること自体は心地悪いものではない。しかし、たかが数粒のチョコレートの存在が、本来ときめくはずの少年の心を覆い尽くしたのだ。


どう答えるべきなのか。

無理にでも笑顔で受け取るべきだろうか。

チョコレートはあとで誰かに食べさせれば良いのだ。

そう、重要なことは、この女子生徒の想いなのだ。


「チョコ食えん、いらない」


…なんということだろう。頭の中で構築していた様々な構想が一瞬で崩壊した瞬間だった。心の声が、脳の制御を飛び越えて現実世界に発せられたのだ。

泣きながら走り去っていった女子生徒の消えゆく後ろ姿を見ながら、私は自分自身に「最低」の烙印を押した。


翌年から、チョコレートを貰う機会は目に見えて減少していった。あの時の悪評が広まっていることなどは容易に想像できたのだが、実際に広まっていた噂はもっと凄惨なものだった。

悪評は、初めは単なる「チョコ嫌い」であったはずだ。しかし、それがなぜか「女嫌い」になっていた。これは、全てのチョコレートを受け取らなかった理由が、本当は「チョコ嫌い」ではなく、女性そのものが嫌いなのでは? と噂されたためである。

そして一度「女嫌い」を噂されると、その行末は「ゲイ疑惑」にまで発展するというのだから、女子中学生の妄想力は留まることを知らない。正に暴走機関車である。


私は必死に弁解した。

私は、正常な男子である。もちろん、性的な意味で、だ。

卑猥な雑誌や、卑猥なビデオを好んで見ていること。二次元から三次元まで、中学生から熟女までという幅広い守備範囲を誇ること。そして大量のコレクションをベッドの下に隠し持っていることを主張した。黒板に部屋の間取り図まで書いて説明した。

しかし、一度貼られてしまったレッテルを剥がすことは困難なことである。「カモフラージュ」「男優目当て」「そもそもベッドなんてあるの?」などと口汚く罵られた。

そして高校進学で選択した学校が「工業高校」だったことが、私の「ゲイ疑惑」を決定的なものにしたのだった。その高校の男女比率は9対1。本意ではないが、事実上、男の楽園である。


「テメーのチ●ポにチョコつけてろ!!」


とても女子中学生とは思えないセンセーショナルな発言。この娘はセンスがある。将来が楽しみだと思い、自然と口元が緩んだ。決して言葉責めが好きなマゾではない。

―――fin



さて、涙なくしては語れないラブストーリーであったが、自分らしく生きることの大変さを理解していただけただろうか。


自分が自分として生きる。ここに必要なものは道徳や倫理といったものだ。自分自身だけの価値観ではなく、社会全体を通じての価値観も必要になってくる。

上記のように、自分を取り巻く環境を考慮しない立ち振る舞いをしていれば、いずれ災難は己に降り掛かるものだ。勝手気ままに生きることや、閉鎖的な価値観に基づいて生きることを「個性」とは言わない。


個性尊重が叫ばれて久しい昨今。

個性とは、個々の持つ性質であり、それを最大限に活かすことが重要である。しかし、現在溢れかえっている「個性」とは、単に「人と違う」「奇抜である」ことではないのだろうか。

そして、はき違えた「個性」の名の下に、奇を衒いすぎた結果、本来の機能を失ったものも多く見受けられる。


実の無い「個性」など、個性尊重をはき違えた現代社会の廃棄物だ。上っ面だけの「自分らしさ」など、捨ててしまおう。




取材ホール/取材ホール/S市I町:【PS】スパークのスの字もありません
プレイ機種/ランプ切れ:取材投資8,000円 回収0円
けんさん・やまさん パチスロ放浪記/Copyright(c)2006 Kensan & Yamasan All rights reserved.