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「紳士的賭博観測記録」 vol.95(08.05.02 UP!)
【心の振り子】
僕は「シーソー」が嫌いだった。
シーソーは、ひとりでは遊ぶことのできない遊具だ。ひとりでは、シーソーの持つポテンシャルを発揮することはできないのだ。
シーソーは、その両端がそれぞれ上下運動を繰り返すことによって、その存在がシーソーであることを証明できる。片方が地に着いたままの「それ」は、ただの角材にしかすぎない。
横から見ると、右と左。正面から見ると、手前と奥に世界が分かれている。一見、その姿はシンメトリーであるが、それぞれの世界は全く異なる。支点を境に、こっち側かあっち側かが決まるのだ。
そして、その2つが融合することによって、俗世界から切り離された特別な世界、特別な時間を創り出すのだ。
二人の人間が向かい合い、お互いを注視する。相手の姿はぶれることがなく、景色だけが流れていく。好きなあの娘の背景には、力強く生い茂ったイチョウの樹々。そして僕の背景には、夕日を浴びる校舎があったのだろうか。
「よーし、ユカちゃん、もっと強くやっちゃうよ!」
「きゃっ、やまさんコワ〜イ」
「(ぐへへぇ〜、かわえぇの〜)」
シーソーは「ときめき」をもたらす存在だ。
教室で、好きなあの娘と隣同士の席になったとしても、隣の席より上位クラスの「斜め45度後方」に位置することになろうとも、そのときめきには敵わない。足元にも到底及ばない。次元が違うとはこのことであり、まさに異次元という言葉が相応しいほどに心躍るのだ。
例えるならば、それは観覧車と同意義である。
同性同士で観覧車に乗りたいとは思わない。もしも相手が「そのクチ」だとしたら危険過ぎる。そこは、逃げる場所が無い閉ざされた空間なのだ。このような密室において、「そのクチ」のむさ苦しい野郎に掘られるという事態に陥ったとしたらどうだろう。開き直らざるを得ず、股まで開かざるを得ない状況になる恐れも十分にあるのだ。
しかし、好きなあの娘と観覧車に乗れるとしたらどうだろうか。あの娘と二人だけの特別な世界が手に入れられるとしたら。どんなに大切なものを失おうとも、それを手に入れたいと強く願っただろう。
大切にしていた「聖闘士星矢」の超合金を失ってもいい。通知表が全て「丙」になってもいい。「うまい棒」が値上がりしてもいい。「うまい棒」を口にくわえたまま呼吸したときの「うまい空気」が吸えなくなってもいい。
そういった類いの俗世的な欲求よりも、もっと異次元で、もっと特別な「ときめき」を欲してしていたのだ。何者にも代え難い、心の奥底にある煌めきなのだ。
しかし、シーソーは残酷だ。
実際の僕は、夕暮れの校舎の壁にもたれ掛かっていた。シーソーの右と左、手前と奥。その、どちら側の世界にも踏み込むことが許されなかったのだ。
だから僕は、砂場でおっぱいを創っていた。
あの頃、嫌いだったシーソー。
人間の心の中にも似たようなものが存在している。
上がれば下がり、下がれば上がる。平穏は永遠ではないし、波乱も同じことだ。時として躍動感に満ち、時として不安定感に苛まれる。その両端を、行ったり来たりしながら、それを繰り返しながら生きているのだ。
しかし、これはシーソーのようであり、シーソーではない。各個人の心の中に存在している、言わば「心の振り子」だ。そしてその振り子は、自分の力でバランスを保たなくてはならないのだ。
こっち側が重くて地に着いているのであれば、あっち側に何かを置けばいい。あっち側が重くて負けそうならば、こちら側が大きくなればいい。
どちらかに留まってはいられない。その2つの世界を往来することが重要であり、その往来の中に流れるエネルギーこそが、特別な時間を創るのだ。
幾度も幾度も繰り返し、繰り返し、繰り返す。
恥をかいて、ベソをかいて、汗をかいて、人生を描く。
そして僕は人生を描くために、砂場でもっともっと大きなおっぱいを創ろうと思う。
取材ホール/S市A町:【Z】1ゲーム連お宝発見
プレイ機種/エヴァ:取材投資4,000円 回収32,000円 |
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