ほら、あなたの隣。
その彼が私かもしれませんね…


vol.96(08.05.09 UP!)


私は、〈楽zon〉から届いたカプセルをコンピュータに差し込んだ。

ちょうど今、長期休暇が始まったばかりで、私はバカンスを楽しもうと計画していた。そのために〈楽zon〉から取り寄せたのが、このカプセル型のマイクロチップなのだ。

コンピュータのモニターに映し出されたタイトルは「2000年 Hawaii」。数十年前に海に沈んでしまい、現在となっては存在することのない島だ。昔は、旅行の定番とも言われていた島らしい。

モニターの下部に表示された「START」のボタンをタッチすると、リビング一面に張られたガラスに、「2000年 Hawaii」の情景が映し出された。このガラス自体が大型液晶となっている。自宅に居ながらにして旅行が楽しめる「ヴァーチャルツアー」の始まりだ。

室内のスピーカーからは、雑踏や波の音が流れる。マイクロチップに組み込まれたプログラムによって空調も制御され、当時のHawaiiの気温や湿度を再現するのだ。



「暑いな」


ものの5分も経たないうちに、マイクロチップを引き抜いた。

一面のガラスに映し出されていたHawaiiの情景がフェードアウトし、いつもの街の風景が広がっている。やはり、この平和な街並が一番だ。


しばらくの間、窓の外を眺めていた。太陽が沈み、空が赤く染まっていく。

夕陽を見ていると、大昔の映画作品を見た時の記憶が呼び起こされた。あれは確か、何人かの人間が夕陽に向かって走っていくシーンだ。

大昔の人間が考えていたことを理解することは困難だ。しかし、あのシーンの人間達の表情が、やけに記憶に焼き付いている。楽しいのか、面白いのか、嬉しいのか…。どんな感情が呼び起こされているのだろうか。

「衝動」とても言うのだろうか。なぜかあの時に見たシーンが妙に気になってしまい、何にも手が付かなくなってしまった。



「よし、実際に夕陽に向かってみよう」


さっそく「走り方」を調べた。ブラウザを起動させ、「走り方」と入力。すると、検索結果として、たったの3ページだけが表示された。誰も走り方を知りたくないのだろうか。それとも、誰も走り方を知らないのだろうか。


一つ目のページにアクセスした。

「走る」という事について、基本的な動作のレクチャーを記したWebサイトだ。体の重心や腕の振り方などについて書かれている。しかし、私にはあのシーンが脳裏に焼き付いている。あの人間と同じように動けばいいのだろう。そう思い、すぐにウィンドウを閉じた。


二つ目のページにアクセスした。

「走るための準備」について記されたWebサイトだ。走るためには、それに適したウェアとシューズが必要らしい。ところでウェアとは、シューズとは何だろう。しかし、必要だと言うのであれば、それらを揃えなくてはならない。


三つ目のページを見ること無く、〈楽zon〉にアクセスした。

ウェアとシューズを合わせて7万円近く必要だ。ウェアやシューズといったものが、現在では生産されていないため、高値で取引されているようだ。およそ一ヶ月の賃金に匹敵する価格に一瞬躊躇ったが、すぐに購入手続きを済ませた。




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